KONDO Racing Teame

Forum Engineering Inc.

INTERVIEW インタビュー

01選手としても活躍されましたが、その後、監督として
レーシングチームを率いていこうと考えたのはなぜですか?

 子供の頃からクルマは好きでしたが、レースのことはあまり知りませんでした。選手となるきっかけは、芸能界デビューして日産のCMに出演させていただいたことでしたね。その縁で、日産の方に富士スピードウェイで開催されるレースに連れて来ていただき、当時第一線で活躍されていた星野一義さんにお会いしたんです。レース前に星野さんとお話しする機会があったんですが、その際に「マッチ。今から2,000万円稼いでくるから」と(笑)。歌手や俳優の世界って、お金のことを口に出すのは何となくタブーだったりするんですね。一方、プロ野球選手であれば年俸がいくらであるとか、プロゴルファーならば賞金王であるとか、お金で選手が評価される世界がある。レースの世界もそう。自分が住んでいる世界との違いに、すごい刺激を受けました。
 その後、星野さんにアマチュアのレースに出ないかと誘っていただき、最初に参加したレースでは最下位に近い順位でしたが、練習を重ねるうちに徐々に順位が上がり、乗るクルマもF3、GTカーとステップアップする中で優勝することができました。その結果、日産が『マーチ』のCMで契約していた僕をレーサーとして契約してくれ、『ル・マン24時間レース』に連れて行ってくれた。「そうか、ここまで来たか」と感慨深いものがありましたね。  でも、レースは厳しい世界ですから結果が出せなければドライバーは解雇されてしまう。たぶん僕は3年目ぐらいだったと思います。これ以上速くなる見込みがないと判断されて。野球で言えば戦力外通告みたいなものですよ。その時期、『フォーミュラ・ニッポン』という、現在の『スーパーフォーミュラ』に参戦していましたが、自分自身、レーサーとしての先が見えていましたし、このカテゴリーに参戦していたら、いつか大ケガするなと思い、レーサーを引退する決意をしました。
 しかし、レースという世界にすっかり魅了されていたので、関わり続けるための次の手段を考えていたんですね。それが自分のチームを持つことだった。当時、僕をサポートしてくれているスポンサーさんが10社ぐらいいたんですが、そのうちの7社が僕の新しい夢に共感してくれて、背中を押してくれた。今のチームを支えてくれたんです。だから今考えると、僕はクルマを降りるタイミングとチームを作るタイミングが非常に良かったですね。

02監督としてチームをまとめていく上で大変
だなと感じることを教えてください。
また、選手経験が監督の仕事に生きていると感じるのは、どんなところでしょうか。

 チームの監督は会社の経営者と同じで、やはり人とのコミュニケーションが大切だと思います。僕と誰かということではなく、チーム内のコミュニケーションを円滑にするのは非常に大変ですね。選手の頃はヘルメットとレーシングスーツを持ってサーキットへ行き、クルマを走らせていただけなので、今まで経験したことのない仕事をしなければいけないわけです。しかも、チームのスタッフは職人が多いので、みんな頑固なんです(笑)。それぞれが真剣に仕事に取り組んでいるからこそ生まれる人間関係のトラブルもある。それをまとめていくのが一番大変ですね。僕は、いろんなチームのオーナーと友達なんですが、みんな同じことを言いますよ。
 そんな中で選手経験が生きると感じるのは、ドライバーのモチベーションを上げることかなと思います。やはり、エンジニアから監督になった人より、実際にヘルメットを被り、クルマに乗っていた監督のほうがドライバーの気持ちがよく分かる。例えば、ドライバー経験のない監督やエンジニアはレース中、ストレートで300kmのスピードで競り合っている最中のドライバーに無線で交信してしまうんですよ。ドライバーはカーッとなっているから「黙ってろ!」ってなる(笑)。僕はドライバーの状況や気持ちが分かるから、とても交信できないですけどね。そういう意味ではドライバーに対する細かい気遣いもできますし、ドライバーの感情をうまくコントロールできるかなと思います。

03監督としての夢、
目標とはなんでしょうか

 チームとして若いドライバーを育てるという目標もありますが、若いドライバーはいろいろなチームを回りながら成長していくもの。成績が良ければ、また違うチームに移籍していきますしね。そう考えると、一人の特定のドライバーを育てて、F1まで連れて行こうってビジネスにはならない現実があります。
 日本にどれだけのレーシングチームが存在するのか分かりませんが、その中で一番上のチームになりたい。日本一のチームになりたいという気持ちが強いですね。それが現時点での夢であり目標と言えるかもしれません。

04今期のマシンの開発にあたり、
監督が求めたこととは何だったの
でしょうか。

 全てですね。とにかく全部。その中でも、GT-Rの一番の魅力であるパワーは最優先事項でした。そこは、日産NISMOに「もっとパワーをください」とお願いしましたね。やはり、エンジンはレースの要ですから。今、トヨタもホンダのクルマも速くなってきているので、このままでは置いていかれてしまう。そんな危機感から「とにかくパワーのあるエンジンを用意してください」と依頼しました。それ以外ではタイヤですね。うちのチームは横浜ゴムさんにタイヤを供給してもらっているのですが、共同で徹底的にタイヤの研究をしているんです。今のGT-Rに合うタイヤ、天候に合うタイヤ、コースに合うタイヤ…これは全部種類が違うんですよ。その開発を横浜ゴムさんとがっちり組んでやっているところなのですが、難しい世界だなと痛感しています。タイヤの研究現場は、まるで化学の授業を見ているようですよ(笑)。

05レース活動においてエンジニアの方々は
欠かせない存在です。
監督がレースエンジニアを志している人に
期待することは何でしょうか。

 僕がドライバーだった頃に比べると、今はエンジニアの能力はもちろん、コンピュータやソフトなど、あらゆるものが進化しています。でも、そんな時代であってもレースエンジニアには経験を積んで繰り返し学ぶことが求められます。そのために最も必要な資質は、諦めずに続けていく熱意だと思うんですよ。様々な情報を自分の中に取り込んで、良いと思うものを試してみる。それで結果が出なければ、また勉強する。トライ&エラーの繰り返しです。一度レースで勝った経験のあるエンジニアは、その時の何にも変えられない喜びを知っているから、どんなに辛くても辞められなくなります。時間はかかるでしょうが、そこまでやり続けていただきたいですね。
 今、どのレーシングチームも優秀なエンジニアを求めているので、チャンスや活躍の場はたくさんあります。どんどんレースの世界に来ていただきたいですね。日本で実績を積み、海外で活躍している日本人エンジニアもいっぱいいますから、夢を持ってチャレンジしてほしいと思います。

06最後に、今期にかける意気込み、
目標を教えてください。

 うちのチームは2016年のSUPER GTシリーズで2回優勝しているのですが、2017年は残念ながら他チームに置いていかれるようなパフォーマンスしか出せませんでした。その悔しさもあり、2018年は最低でも1回は優勝を飾りたいですね。チャンピオンを獲れるかどうかは分かりませんが、最終戦までチャンピオンになれる可能性があるようなレースをしていきたいと思っていますので、応援を宜しく願いします。

チームディレクター近藤 真彦

生年月日
1964年7月19日
出身地
神奈川県
身長
173cm
体重
58kg
血液型
RH+O型
1984年 〜
富士のフレッシュマンレースでデビュー
1988年 〜
全日本F3選手権シリーズに参戦
1994年 〜
フランスのルマン24時間耐久レースに初参戦
2000年 〜
KONDO RACINGを結成、フォーミュラ・ニッポンに参戦
2006年 〜
SUPER GT GT500 クラスにKONDO Racingとして初参戦
現在に至る。